通院の日は憂鬱だ。朝から病院にいって病院をでるころには、夜を感じるぐらいの夕方になっている。5〜6時間ぐらい点滴をうつので治療中に原稿を書いたり、映画を見ようとおもうのだけどついつい寝てしまう。
抗がん剤の副作用であるアレルギー反応を抑える薬を点滴されるんだけど、その抗アレルギー剤の副作用で坂を転がり落ちるように眠くなり、寝てしまうのだ。病院の日は結局なにもできなかったりする。
治療をはじめたばかりのころはすんなりと入っていた点滴の針も、いまではすこし血管に入れるのを苦戦したり、刺すまえに失敗しないようにと緊張をしているのが看護師さんから伝わる。もしかしたらウエストと反比例して、だんだんと血管が細くなってきたのかもしれない。通院の日の朝はため息がおもわず出てしまう。
病院にいく準備をして玄関で靴をはいていると、妻と息子が応援してくれた。たけのこがのびるような感じの手の振りと、足をバタバタさせながら「がんばれっがんばれっ」と変な踊りと歌で応援してくれた。
おもわず笑ってしまった。写真をたくさん撮ろうかとおもったけど、こういうものほど目に焼き付けておいたほうがいい。きっとぼくが死にそうなときにみる景色はこれだろう。
いままでに一度だけ幻覚を見たことがある。幻覚というよりは目を閉じると浮かんでくるJ-POP的な景色なのかもしれない。このときは腫瘍が骨を溶かす痛みで気を失いそうになっているときに、まだ1歳だった息子がアーアーといいながら顔をペチペチと叩いて応援してくれた。そのときの景色も日常のどこかで見たものだった。
幻覚だろうがJ-POP的な景色を見ようが、それで痛みが消えるわけじゃない。でも極限状態のような苦しいときに、息子が応援をしてくれたことで正気を保つことができたのは事実だ。あまりにも辛い痛みだったけど、心は折れなかった。
もしかしたら幻覚でもJ-POP的な景色でもなく、走馬灯というものなのかもしれない。なんでもいいのだけど死にそうなときに、妻子の変な踊りと歌が走馬灯になって思い出し笑いをしちゃったらどうしよう。
でもそれはきっと、とてもしあわせなことなんだとおもう。