知らない女性から謝罪のメールをいただいた。ぼくはその人のことを全然知らないのだけど、その女性はぼくに謝りたくてとても悩んでいる様子だった。彼女は以前SNSでぼくのことを誹謗中傷したことがあり、そのことを謝罪したてきたのだ。
SNSでの誹謗中傷が問題になり、法律で規制をする動きや、誹謗中傷をされた側が訴訟をするという動きが加速している。こんかいの謝罪メールは訴訟を恐れた人があらかじめ謝ってきたというありがちな構図ではなく、謝罪されたこっちの胸が痛くなるようなものだった。
誹謗中傷の内容はというと、ぼくが狩猟でウサギを獲って食べたことを引き合いに出し、ウサギを食べたから天罰でガンになったんだザマアミロというものだった。
ガンが天罰であるのならばウサギもガンになるので、ガンになったウサギにはどんな天罰があるのだろう?とおもってしまうし、鶏や牛や豚を食べていれば天罰が免除されるのかよ?とぼくはおもってしまう。天さんってのはずいぶん気まぐれな罰を下すものだ。気まぐれが許されるのは残念ながらシェフのランチか単品のサラダだけだ。
狩猟を批判してくる人はよくいるんだけど、それがパクパクと唐揚げを食べているような人だと行動力があるけど思考力のないワガママボディーだなとしか正直なところおもわない。
相手が野菜しか食べないベジタリアンに批判をされても、野生動物から野菜を守るためにとてもたくさん殺されて、野菜は野生動物の命と引き換えに生産されているので、そこに目を向けないぽっと出のベジタリアンなんだなとしかおもわない。
動物がかわいそうというのはとてもよく理解できるけど、感情がベースになった議論ほど寿命の無駄はない。ぼくは思考力のない人の感情論など相手にするつもりはないのだ。
謝罪のメールにはその誹謗中傷をしてきた女性が乳ガンになったことが綴られていた。しかし自分がガンになったことで、病人のつらさがわかって謝罪をしてきたというものではない。
彼女はぼくにひどいことをいったことが原因で自分が乳ガンになったとおもっていた。つまり自分が天罰で乳ガンになったと信じていたのだ、勘弁してほしい。
天罰というものをまったくさらさら信じていない。天罰なんて神様の実在レベルの話だとおもってる。ネットや本で神様の話を読むのはワクワクするけど、三丁目の田中さんが自分のことを神様だといいだしたら、三丁目を迂回するとおもう。
天罰といいだす人は天罰である証明をしてほしいものだけど、人に天罰がどうこうっていってくる人は、災難が自分に降りかかったときに天罰で苦しめられるのだとおもい胸が痛くなった。
彼女は過去の誹謗中傷を許してもらえば、自分のガンが治るとおもっているようにもぼくは感じたけど。残念だけど病気はそういうものじゃないし、ぼくだって身勝手な誹謗中傷と謝罪をしてくる相手をホイホイ許すような優しさ持ち合わせていない。残念ながらぼくは神様じゃないのだ。