まいとし子どもの日になると、ぼくは児童憲章を読んでいる。
児童憲章って漢字が4つも続くとなんだか難しそうだけど、憲章というのは法律とは違うので罰則があるわけでもなく、目標や宣言というニュアンスに近い。児童憲章はすんごくかんたんにいえば“子どもルール”みたいなことなのだとおもう。
児童憲章のひとつ目は「すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される」というものだ。なんだかあたりまえのことすぎつつも、具体性がないありがちな標語というか、ひねくれている人からすれば綺麗事に見えるかもしれない。実際にぼくはいちばん最初にひとつ目の項目を読んだときに綺麗事だと感じた。
ところがふたつ目ですこし空気が変わる。
「すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる」
耳と胸と過去の記憶が痛くなる人がちらほらと出てくるんじゃないだろうか。12個ある項目の全部が“すべての児童は”ではじまるもので、親の義務として書かれているのではなく、子どもの権利として書かれている。
興味深いのは児童憲章が制定されたのが終戦からわずか6年後の昭和26年の5月5日こどもの日だ。きっと当時の大人が集まってこの憲章を決めたのだ。その大人たちは空襲で亡くなったたくさんの子どもの遺体を目にして、幾万の存在を聞いているはずだ。
そして戦争によって保護者を失った戦争孤児が街に溢れていたはずだ。戦争孤児でいちばん想像しやすいのは「火垂るの墓」にでてくる清太と節子や「はだしのゲン」にでてくるたくさんの子どもたちだ。
戦争孤児ときけば現代の我々はかわいそうだとおもうかもしれないけど、当時の人たちは徒党を組んだ戦争孤児の被害にもあっているだろうから、一部の大人には忌み嫌われる存在だっただろう。
子どもへの被害と子どもからの加害を目にした当時の大人が、子どもは人として尊ばれる、子どもはよい環境の中で育てられると宣言をして、子どもから尊厳を奪ったり社会から排除するのではなく、子どもには権利があって慈愛を与えましょうという宣言は素晴らしいものだとおもう。