3月1日に誕生日を迎えて37歳になった。17歳のころからは37歳なんておじさんだとおもっていたけど、37歳になってみるとまだまだ若いなって考えてしまう。でも自分のことを若いって考えてしまう思考こそがおじさんになった証明だ。
21歳の人が「もう21だよ、やばい」みたいなおじさんとおばさんの感情を逆撫でする無邪気な発言があるけど『まだ37歳だよ、わかい」みたいな発信も若い人からすれば痩せ我慢に聞こえるのかもしれない、おじさんらしくデブだけど。
若いころって背伸びがしたくて大人ぶりたかったけど、いざ本当に大人になってみると若者ぶりたくなるものだ。
誕生日は3月とはおもえない暖かい天気だったので、家族でマス釣りにでかけた。渓流の自然をいかしたつくりの管理釣り場だ。きれいなトイレもあるし、飲食にも困ることはないので家族づれにはぴったりだ。
きびしい大自然のなかで一人みたいな魅力はとてもいいけど、ゆるい自然のなかで家族と一緒みたいのもまた質の違う魅力がある。
子どもにはすこし長い竿をかりた、竹竿なので長いだけでなく重い。あおむしが白くなったような虫をハリにつける。3歳の子どもでも簡単に釣れる、この簡単さがいい。まずは釣れることでおもしろさを感じてほしい。
針を仕込まれたあおむしが白くなったような虫を魚が食べて、長くて重い竹竿から魚の振動を感じてほしい。魚の口からも血が出ることを知ってほしい。内臓を抜いて料理することで美味しく食べられることを知ってほしい。
誕生日の夜ごはんはマスの塩焼きにした。台所で魚を焼くぼくにむかって妻が「誕生日なのにごはんつくらせてごめんね」とあやまってきた。釣りも料理もぼくがやりたいことだからいいのだ。
年齢や環境に応じてたのしいことは変わってくる。若いころはそれがつまらないことかとおもっていたけど、いざおじさんの仲間入りしてみるとたのしいものだ。脂がたっぷりのった大トロの寿司よりも、おまけのような存在だったガリの美味しさに気づいたりする。手のこんだ美味しいガリを食べられたらしあわせだ。
もちろん若い人のたのしさもとてもうらやましい、そもそも大トロを食べられる内臓がうらやましい。人生は若くてもおじさんになってもたのしいものだとおもう。17歳のころの自分に教えてあげたい。