「安楽死特区」という小説を年末によんだ。
ボロカスな感想をいってしまうのだけど、とてもひどい内容だった。
なにがひどいというと、小説にでてくるキャラクターの一人があきらかにぼくなのだ。
もちろん連絡をうけたわけでも、取材をうけたわけでもない。
旅行写真家の女性がいて、その彼氏が多発性なんちゃらというぼくの病名と似た病を患いながらも、安楽死をうったえるブログが大人気という設定だ。
結末だけざっくり書いちゃうけど、最終的に彼氏は急にポケットからでてきたピストルで無理心中をする、しかも旅行写真家の彼女とはでなく別の女性と。
そして彼女が彼氏のブログで安楽死は反対です、彼氏は馬鹿でしたと罵るという、とてもひどいバッドエンドだ。
安楽死に関しての内容がとても薄くて、わざわざ反論をする価値もないけど、この小説を書いた著者は現役の医師だ、しかも尊厳死協会のお偉いさんだ。
この医師も尊厳死協会も安楽死に対して(もしかしたらぼくに対しても)とてもあせっているのだと感じた。論理的な反論ができずに、感情的に不安を煽って安楽死を防ごうとしている。
これでは社会的な支持はえられないだろう。なぜならキャラクターにされたぼく本人が、この小説をよんでもなにも響かないからだ。「よし安楽死をやめよう!」とはおもわないからだ。
この小説をよむときに、さきに読んでいた友人の緩和ケア医の西智弘先生に読むことを止められた。読んだあとにぼくのメンタルが崩れることを心配したからだ。それでも読むと伝えたら、感想を教えてほしいと返された。きっとぼくを心配して、話をきいてくれる準備があると暗に伝えてくたようにぼくは感じた。
小説で不安を煽る尊厳死協会の医師と、ぼくのメンタルを心配する緩和ケア医。
どちらもおなじ医師だ、ここに医療格差がある。患者がいい医者に出会うって運だよね。
どんなに安全性の高い車を製造しても、運転手が危険な人間なら意味はない。
医療も一緒だ。どんなにすぐれた標準治療があっても運用する医療者の人間性で患者は苦しむ。ところで、旅行写真家ってなんだ? ぼくははじめて聞いた。せめて風景写真家じゃないか。