THE 虎舞竜みたいな書き出しだけど、ちょうど一年前に足の小指を骨折した。足の小指をぶつけると激痛が走るけど、小指の扱いには気をつけろよと体が教えてくれているのかもしれない。足の小指を骨折するとなかなか不便だ。
はんぺんみたいので小指を包帯でグルグル巻きにするので、クリスマスの飾りのような大きな靴下と医療用っぽい靴を履く。歩行速度がガクッと落ちるので人とぶつからないように気をつけなければいけない。
抗がん剤の治療のために通院すると、高齢の患者さんとぶつかりそうになることがある。高齢の人は歩行速度が落ちるからだ。街中で子どもが人とぶつかりそうになるのも歩行速度が一定でなく速かったり遅かったりするのが理由の一つだろう。
高速道路で運転するときのように、事故を防ぐために周囲の速度と合わせることがいいのだろうけど、人間はそれぞれ歩速と歩幅と体力が違うから難しい。じゃあ骨折をしているときに誰かとぶつかったかというと、一度も人とぶつかることがなかった。一度だけエレベーターの中で足を踏まれて泣いたけど。
一度もぶつからなかったのは、周囲の人が配慮して避けてくれたからだろう。病院で高齢者にぶつからないようにしているのとおなじことだ。見た目も結構重要なんだなと思った。医療用っぽい靴を履いて不自由そうに歩いているのと、足以外は屈強なワンパックのお腹の男性だ。
かわいい軽自動車と右翼の街宣車、どちらが煽り運転をされやすいかといわれれば、たぶんかわいい軽自動車だろう。エレベーターで踏まれたのは、エレベーターだと人は上を見上げるからだと自分に言い聞かせて涙を拭いた。なんにしても周囲の人が配慮してくれたのはありがたい。直接声をかけられたり助けられたりしたわけじゃないけど、人は見守ってくれているものだ。
がんになったばかりの頃、歩行に支障が出ていたのでヘルプマークをつけて生活していた。ヘルプマークつけていても、電車で席を譲られるわけでもないし、あんまり意味を感じないのですぐに外してしまった。
きっとこの時も見守ってくれていた人がいたんだろう。ヘルプマークの認知度が低いわけじゃないし。なにかあったら助けてくれたんだと思う。ぼくもヘルプマークつけている人を見かけたら、わざわざ声はかけないけど何かあったら助けようって思うもん。
世の中には積極的に冷たい人も消極的に冷たい人もいて、積極的に優しい人も消極的に優しい人もいる。積極的に冷たい人が社会では目立って話題になりがちだけど、それはノイジーマイノリティみたいなもので、世の中は消極的に優しい人が大多数なんじゃないかなと思ったりする。
困っている人に助けを求められて、自分しかいなければ多くの人が助けるんじゃないかな。積極的な優しさを正義とすれば、消極的な優しい人も冷たい人になってしまうのだろうけどね。
なんで一年前のことを思い出しているといえばいま右足の足首を痛めているからだ。また歩くのが大変な状況になっている。一週間ぐらいで治るらしいけどぶつからないように気をつけよう。気をつけようというか、すでに見知らぬ人に気をつけてもらってることに感謝しよう。