木版の面白さはひと言でいうと、
彫刻刀でがりがりと彫るよい音が、たまらなく気持ちいいということでしょうか。
木屑の中にいるのは快感です。
こんなに集中していやになるほど制作したのに、また彫りたくなる。
不思議な魅力です。
高校生の時、棟方志功にあこがれて以来、木屑にまみれるというのは夢でした。
でも美大でゼミを決める時、さんざん悩んだ末、それまで知らなかった銅版画を選びました。
繊細な線に引き込まれたのです。
あの頃、頭の中がかちこちだったわたしは、彫ることは好きだけど「版を重ねる」ことがきらいで、多色木版画の難しさに直面し、断念してしまったのです。
それ以来、銅版画家として制作して来ましたが、夢は夢のまま心の中に充満していました。
今回の百年文庫のしごとで、もういちど木版画に触れて
自分の出来る範囲で、気負わずやれば良いんだと判りました。
「刷り」は自分の好きなほわっとしたイメーに近づくためと思って努力すればいいんだ。
そう思うと、すらすらできました。
しかし、この、すらすら、までに行く過程は、涙無くして語れぬ日々なのでした。
いちばん最初に制作したのは、2巻の『絆』。
下絵は何度描いてもまとまらず、やっと出来た下絵を彫り進めても納得いかず、
彫り直してばかり、寝ても覚めても頭の中は木版だらけ。
時間ばかりが過ぎて、泣いても誰も助けてくれず、最後は出来ませんと言うしかなくて、
一度は同じ絵柄をエッチングにしました。
そこまで行ってあとひと踏んばり、と、ど根性が爆発しました。
やれやれ、そんなタイプでないのになあ。
木版で完成した時は人知れずほっとし、
デザインの緒方氏、ポプラ社の野村氏に、涼しい顔で「できましたわ」と、うまく言えてたかどうか。
苦労が顔面に出ていたかもしれません。
心底疲れました。
しかし、振り返ると、ここまでは、まだ序の口なのでした。
ダンボール箱に、どさっと送られて来たゲラのコピー用紙を、
電車の中でも、ベットの中でも、読む、読む、読む。
イメージを、湧かす湧かす湧かす。湧きませええ~ん。
下絵を描く、板を彫る、そして、刷る。
いちばん佳境の、2日に1点くらいのペースで制作していたあの時のことは、
ぞっとする恐怖です。
思い出したく無いけれど、語ります。
まわりから、鬼のすまこと呼ばれ、鬼のように彫り、鬼のように刷り、
体力を付けないと身体が持たないと判断して、食べに食べ。
そのうえ、あまりのスケジュ―ルのため運動は出来ず、
体重はいまだかつてない重さになり……
とにかく、人間業でない仕事量なのでした。
「気分転換はどのようになさいましたか?」
などと聞かれても、きぶんてんかん??
なにそれ? そんなもんあるはずないじゃないですか。
今年の酷暑の中、ビールを呑んでも酔えず。
「負けるもんか」と思いつめた日々でした。
木版画と銅版画では「版を通す」という点は同じでも、凹凸が逆転する技法です。
銅版画では体験できない筋肉が付きました。
手にはマメとタコだらけ、美しかった指を返して!
とにかく、こんなに長々と書いてしまうほど、激しい仕事でした。やればできる、を体験しました。
私が経験した熱は、
百年前に生きた人々、作家たちの熱だったのかもしれません。
のしかかってくる人間の情熱を、
受け止めなければと思いました。
読んで読んで、読みまくった私が言います。
百年文庫は素敵な文庫です。
皆様、読んで下さいね。
百年文庫ばんざい!!!