石や草ばかりを描き、世間の評判とは無縁な画家・馬鹿一。自由にして穏やか、しかし揺るぎない信念を持って、自然の生命を賛美する武者小路実篤『馬鹿一』。白い大地に残る、生きものたちの小さな足あと。風の音にじっと身を屈める吹雪の夜。東北の地で山林孤棲の生活を選んだ高村光太郎、晩年の名随筆『山の雪』。戦後、松江に駐屯していた英国兵と逃亡し、峨峨たる山間の民家に隠れ住んだはる子。宇野千代が実話をもとに書き下ろした、切なくも強い愛の物語(『八重山の雪』)。ひたむきさが胸を打つ、それぞれの生き様三篇。
武者小路実篤 むしゃこうじ・さねあつ 1885-1976
東京・麹町生まれ。学習院小・中・高等科を経て、東京帝国大学に入学。1910年、志賀直哉らと「白樺」を創刊し、『お目出たき人』『友情』などで作家の地位を確立。また理想郷をめざし、「新しき村」の創設に携わる。そのほかの作品に『人生論』『真理先生』など。
高村光太郎 たかむら・こうたろう 1883-1956
東京・下谷生まれ。詩人、彫刻家。東京美術学校で彫刻、のち西洋画を学ぶ。海外留学後の1914年、詩集『道程』を刊行。戦後は花巻で独居自炊の生活を送った。そのほかの代表作に『智恵子抄』『典型』(読売文学賞)など。
宇野千代 うの・ちよ 1897-1996
山口県生まれ。岩国高等女学校卒業。『脂粉の顔』で作家生活に入る。ファッション誌「スタイル」を創刊するなど、生き方、恋愛観において多くの読者の共感を得た。代表作として『おはん』(野間文芸賞、女流文学者賞)『薄墨の桜』『生きて行く私』など。文化功労者。
つつましくも、ゆたかな暮らし。静かに満たされていく時間。けっして声高にならず、大切ななにかを手のひらにしっかり握りしめて生きている…。厳粛な気持ち、とまでいうとちょっと大げさかもしれませんが、読み終わってどこか自然と背すじが伸びるような、そんな作品三篇です。宇野千代の『八重山の雪』は、戦後、松江に駐屯していた英国兵と逃亡した女性の実話をもとに書き下ろした、作者にとっても愛着のある作品。岩国の基地に取材した作品『チェリーが死んだ』が続編といわれていて、これから読んでみたいと思っています。(S)