河童が消息を絶った。「名探偵」がゆくえを追い、想いを寄せる女の河童は悲嘆に暮れる。暗愚にして真摯なる精神が夢みた「昇天」までの寓話(火野葦平『伝説』)。赤銅の雨が降る夜、終末への戦慄を覚えながらも享楽の宴をつづける人間の姿があった(ルゴーネス『火の雨』)。十六歳で亡くなった少女が、死者の透明な視線で生者の光景を語る、吉村昭『少女架刑』。危機を予感しながらも、無自覚な日常に退却してゆく精神の不穏さ。特異な設定のなかに、「人間的なるもの」の意味を問う。
火野葦平 ひの・あしへい 1907-1960
福岡県生まれ。本名・玉井勝則。1937年に応召して中国へ渡り、翌年に『糞尿譚』で芥川賞を受賞。『麦と兵隊』など〈兵隊三部作〉を中国戦線で執筆して流行作家となった。その他の代表作に『花と竜』など。
ルゴーネス Leopoldo Lugones 1874-1938
アルゼンチンの詩人・小説家・ジャーナリスト。社会主義の影響を受け、新聞社勤務のかたわら、詩人として頭角を現す。近代アルゼンチン文学の基礎を築いたが、晩年は保守化して孤立、自殺を遂げた。代表作に『イスール』『火の雨』、詩集『黄金の山』など。
吉村 昭 よしむら・あきら 1927-2006
東京・日暮里生まれ。1966年に『星への旅』で太宰治賞を受賞後、戦史小説『戦艦武蔵』で作家の地位を確立。綿密な調査・取材に基づく作品で人気を集めた。その他の代表作に『三陸海岸大津波』『ふぉん・しいほるとの娘』『破獄』『天狗争乱』など。
東北地方の太平洋沿岸が津波で壊滅的な被害をこうむった東日本大震災の後、改めて注目を集めることになった作品に、1896年と1933年の大津波を題材にした吉村昭の『三陸海岸大津波』(1970年刊)があります。ドキュメントや歴史小説の傑作を数多く残している吉村は、綿密な取材をおこなって執筆することで知られており、この作品でもさまざまな話を生存者から聞き出して記録、津波の恐ろしさを読者に訴えかけます(妻で作家の津村節子さんは増刷分の印税を被災地に寄付したことが報道されていました)。この『架』に収録した『少女架刑』は、病院に献体された少女の遺体が解剖されていくさまを当の死んだ少女の視点から描いた、幻想的作風の初期の作品。記録文学とはまた違った吉村昭の一面をお楽しみください。(A)