「ではね、三人で分けっこしましょう」。育ち盛りの幼子を抱え、夫不在の家を懸命に守ってきた桂子。母と妻、二つの女心を告白した鷹野つぎの『悲しき配分』。「寒菊や 咲くべき場所に 今年また」――根を下ろした植物のように一つの家を愛でて暮らす「わたし」の生活哲学(中里恒子『家の中』)。東京で学問を修めた長兄・栄一、地元で代用教員を務める弟・辰男…瀬戸内海沿岸の旧家に生まれた六人兄弟は、「家」を起点にそれぞれの将来を思い描く(正宗白鳥『入江のほとり』)。積み重なる暮らしの中に人生を問う三篇。
鷹野つぎ たかの・つぎ 1890-1943
静岡・浜松に生まれる。新聞記者の夫に伴い子育てをする傍ら、島崎藤村主宰の婦人雑誌「処女地」に寄稿。少女期の思い出や結婚を題材に女性心理を描いた。おもな作品に『悲しき配分』『真実の鞭』『子供と母の領分』などがある。
中里恒子 なかざと・つねこ 1909-1987
神奈川県藤沢に生まれる。神奈川高等女学校を卒業後、文芸雑誌「山繭」「火の鳥」の同人となる。横光利一に師事し、1939年『乗合馬車』その他により芥川賞を受賞。親族の国際結婚や伝統美術への深い造詣から『歌枕』『わが庵』『時雨の記』などを執筆した。
正宗白鳥 まさむね・はくちょう 1879-1962
岡山県備前市の旧家に生まれる。東京専門学校(現・早大)卒業後、読売新聞社に在籍時に『何処へ』などが評判となり文壇に登場。自然主義作家としての地位を確立した。おもな作品に『微光』『入江のほとり』『人生の幸福』などがある。
この巻に収録された日本人作家三人のうち、中里恒子と正宗白鳥はよく知られていますが、鷹野つぎをご存じない方はけっこう多いのではないでしょうか。島崎藤村が創刊した雑誌「処女地」から世に出て、貧困と病苦と戦いながら精力的に執筆活動を行ったすえ結核で他界。没後、夫の尽力で立て続けに著作が刊行されたものの、その後は忘れられた存在に。しかし、浜松私立高校(つぎはその前身である浜松高等女学校の出身)や夫の郷里である長野県の松原湖畔など、ゆかりの地にはつぎの文学碑が建てられて、その名前がしっかり語り継がれています。このような知る人ぞ知る作家の作品にも、ぜひ、百年文庫を通じて触れてみてください。(A)