盟友の娘の婚礼に出席した池田は、人生の花盛りを知らずに夭折した姪・柚子を思うと無念でならない。しかし、生前の柚子には叔父に隠し通したある秘密があった(久生十蘭『春雪』)。辛く惨めなお屋敷勤めを「明日こそ!」飛び出してやろう、と夢見る住み込みの家庭教師オルガ(チャペック『城の人々』)。医学士ソロドフニコフは、突如、見習士官ゴロロボフに科学的には解決できない難問を投げかけられる。二人の議論から導かれた究極の答えとは(アルツィバーシェフ『死』)。手の届かぬ場所へ、願いを捧げ続ける人々の物語。
久生十蘭 ひさお・じゅうらん 1902-1957
北海道函館生まれ。函館新聞社に入社後、上京し岸田国士に師事。渡仏して演劇を研究する。帰国後は雑誌「悲劇喜劇」の編集に従事し、「新青年」で推理小説、伝奇小説を発表した。代表作に『鈴木主水』『母子像』など。
カレル・チャペック Karel Capek 1890-1938
チェコの作家。ボヘミア生まれ。ジャーナリストの傍ら小説・戯曲を発表した。主な作品に「ロボット」という言葉を生み出した戯曲『R・U・R』、小説『山椒魚戦争』、童話『長い長いお医者さんの話』、エッセイ『園芸家12カ月』ほか。
アルツィバーシェフ Mikhail Artsybashev 1878-1927
ロシアの作家。トルストイやドストエフスキーの流れを汲む 『ランデの死』で文壇に登場。後に近代主義のなかで、性の解放を唱えた『サーニン』、虚無的な人間を描いた『最後の一線』を発表。他に戯曲『嫉妬』『野蛮人の法則』などが知られる。
カバーをはずした表紙に描かれている、椿に雪が降り積もる絵は、久生十蘭『春雪』の風景をモチーフに描かれたもの。洗練された文体で「言葉の魔術師」と称される十蘭は、徹底した改稿を繰り返すことで知られており、同じ『春雪』でも他の版と読み比べると「椿」を「木瓜」に変えていたりして、細部までこだわりの結晶のような文章だなあと驚かされます。まるで書くことそのものが「祈り」のような作家です。チャペックはチェコを代表する作家ですが、愛らしくユーモアあふれる小説や戯曲を残しつつ、ジャーナリストの眼で人類の未来を案じ、行き過ぎた近代化を憂うメッセージを発信し続けました。アルツィバーシェフも、近代化の中で「真実とは何か」「生と死とは」を考えつづけ、答えは出ぬまま生涯を終えたひとり。こうした作家たち3人の「祈り」が背景に感じられる1冊だと思います。(R)