「ああ、日本人、ヘンリイも日本人、俺も日本人」――。カナダ兵として戦勝パレードに参加した同朋の雄姿を、「私」は感慨深く見つめた(谷譲次『感傷の靴』)。一人息子を戦争で亡くしたおときさんと捨て犬のチコ。心寄せ合うふたりの親子愛(子母澤寛『チコのはなし』)。「木ノ花さん、助けてよ。わたし今日、ほんとに困ってんの」。大柄な女性作家に絡まれ、強引に家に連れ込まれた小柄な男性編集者。一晩の駆け引きの顛末は…(富士正晴『一夜の宿・恋の傍杖』)。街角に明滅する人生のドラマ。
谷 譲次 たに・じょうじ 1900-1935
新潟・佐渡の生まれ。本名は長谷川海太郎。渡米体験をもとに谷譲次の筆名で「めりけんじゃっぷ」ものを執筆。同時に林不忘の名で「丹下左膳」シリーズを、牧逸馬として怪奇実話や通俗小説を発表した。異例の個人全集『一人三人全集』を刊行した2週間後に35歳で逝去した。
子母澤 寛 しもざわ・かん 1892-1968
北海道石狩郡に生まれる。明治大学卒業後、新聞社に勤務しながら『新選組始末記』などを発表し、『勝海舟』『父子鷹』『おとこ鷹』ほか幕末維新を背景とした作品を執筆。『味覚極楽』『ふところ手帖』などの温かく味わい深い随筆でも知られる。
富士正晴 ふじ・まさはる 1913-1987
徳島県に生まれ、大阪で執筆。1932年に野間宏らと同人誌「三人」を創刊。戦後は島尾敏雄らと「VIKING」を主宰し、『敗走』で芥川賞候補となる。代表作に小説『贋・久坂葉子伝』、評伝『桂春団治』詩集『富士正晴詩集』など。
戦前から戦後へと、変わりゆく社会を肌で感じながら、人と生活(街)を見つめてきた作家たちの作品を収録しています。
谷譲次(本名・長谷川海太郎)は、たった十年の作家人生の中で三つのペンネーム(ほかに牧逸馬、林不忘=「丹下左膳」シリーズの原作)を使いこなし、魔法のように沢山の物語を生み出した類稀な作家です。しかも弟たちは、後に画家となる潾二郎、バイコフの『偉大なる王』の翻訳で知られる濬、『シベリア物語』を著した四郎(11巻『穴』に『鶴』収録)。これだけの才能を世に送り出した「長谷川家」の軌跡については、『彼等の昭和』(川崎賢子著、白水社)を、ぜひ読んでみてください。『感傷の靴』は、自らの渡米体験をもとに書いた「めりけんじゃっぷ」もののひとつで、「ヘロウ、君(ユウ)は今日靴(シュウス)を買ったろう――」と、英語混じりの軽快でモダンな文体でアメリカ文化の中の日本人を笑い飛ばしながらも、日本男児としてのアイデンティティや誇り高さが要所要所に垣間見え、異文化の中で揉まれたがゆえの、感性の鋭さ・新しさを感じます。
『チコのはなし』の子母澤寛は、歴史の「表通りも裏通りも見て」書こうという信念から、緻密な考証をもとに幕末維新をテーマにした作品を多く執筆しました。いまでは映画で広く知られる「座頭市」も、子母澤の歴史随筆『ふところ手帖』の「座頭市物語」がもとになっており、作品では一貫して歴史の影に生きた「やくざ者」や不運にも没落してしまった人々に光を当てています。これは、育ての父である祖父が、もとは徳川の御家人であり、幕末の動乱期に憂き目を見て北海道へ流れついた苦労人だったからだそうです。晩年は着物の懐にお猿の「三ちゃん」を入れてかわいがり、『愛猿記』などの動物随筆も多く残しました。個人的には、食通への聞き書き『味覚極楽』もおすすめです。食べ物の話から取材対象者の人生観まで掘り下げゆく様が巧みに書かれており、子母澤寛という人の人柄の温かさも感じられます。
『一夜の宿・恋の傍杖』は、編集者時代の富士正晴を思わせる主人公が登場します。富士は、晩年まで三十五年もの間、大阪・茨木の竹林にある古家で書画や執筆に向かう暮らしを続けたため、「竹林の隠者」などと呼ばれましたが、編集者として三島由紀夫や久坂葉子を発掘し、才能ある作家たちの作品集の編纂に心を割きました。また、長年、中国で従軍した戦争体験に深く向き合い、『一夜の宿』(収録作とタイトルが似ていますが別の作品です)などの戦争小説も多く残しています。富士と同人誌「VIKING」の仲間であった島尾敏雄もそうですが、戦争と向き合わねばならなかった人間の内面を率直に伝えていて、時代と人というものを、考えさせられます。