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歴史の楽しみかた

歴史は、勝利したものによって伝えられる。だから、やぶれた者はどうしても悪くあつかわれる。しかし、本当にかれらは悪人だったのだろうか?「コミック版 日本の歴史」シリーズでは、ほかの伝記・人物伝シリーズとはちがって、やぶれたものたちも多数とりあげている。ここでは、
織田信長(おだのぶなが)を殺したうらぎりもの「明智光秀(あけちみつひで)」
関ヶ原の合戦で西軍をひきい、徳川家康の東軍にやぶれた「石田三成(いしだみつなり)」
平安時代(へいあんじだい)、略奪や暴力で京の人びとからきらわれた「木曾義仲(きそよしなか)」
この三人を紹介しよう。

  • 織田信長
  • 豊臣秀吉
  • 徳川家康

一般に悪役とされる人物も、「コミック版 日本の歴史」ではくわしくとりあげている。

いずれ負けることがわかっていた?
本能寺の変をおこした明智光秀の心中

光秀が織田信長(おだのぶなが)への謀叛(むほん)を打ちあけたとき、明智家の家臣に反対されたことがわかっている。信長をたおすことができたとしても、その後の合戦でやぶれる可能性が高かったからだ。羽柴秀吉(はしばひでよし)はもちろん、柴田勝家(しばたかついえ)や信長のなかまの徳川家康(とくがわいえやす)らが、「信長さまの敵!」と、光秀におそいかかってくるだろう。もちろん光秀も、そのことは理解していた。光秀が本能寺の変をおこした理由は、戦国最大のなぞだ。しかし、光秀がいずれ自分が攻められることを知った上で、謀叛をおこしたのはたしかなのだ。

関ヶ原の合戦での敗北のあとも、最後まであきらめなかった石田三成

関ヶ原の合戦で敗北し、とらえられた三成。のどがかわいた三成は、見はりの兵に水がほしいと言った。しかし、その場には水がなく、兵はかわりに干し柿(ほしがき)を三成にあたえようとした。すると、三成は「干し柿には、毒がある」といってことわった。すぐ殺される三成が、毒を気にしてもしょうがないと笑う兵に、三成は「豊臣家(とよとみけ)を守るという大義(たいぎ)を思う者は、殺されるときまで命を大事にするのだ」と答えたという。豊臣家を家康の手から守ることを、三成は死の直前まであきらめていなかったのだ。

京での略奪はしかたがなかった?
木曾義仲の不運

京の人々への略奪や暴力で評判の悪い木曾義仲。略奪は事実だが、実は、義仲は京の民のために食料を分けあたえるよう、後白河法皇に願い出ている。しかし、当時西日本ではききんが発生していて、全国的に食料がたりなかったのだ。さらに、京から逃げ出した平家もたくさんのものを京から持っていっていた。そのあとに義仲は京に上った。そのため義仲の軍は、略奪や暴力をおこしてしまった。義仲が悪人となってしまったのは、結果でしかないのだ。

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