東京の家が焼失し、家族と故郷に身を寄せる私は、自転車で町へ繰り出して酒を呑むのが唯一の愉しみ。終戦後のあてどない暮らしを飄々と描いた木山捷平『耳かき抄』。久助君の小学校に都会から太郎左衛門という古風な名の転校生がやってきた。目新しくて不可解な彼の言動に皆惑わされて…(新美南吉『嘘』)。九州山脈を望む入江の村。長年旧家に仕えて家畜の世話一筋の源吉爺さんが村に遺したものとは(中村地平『南方郵信』)。陽を浴びて土に汗し、ただ朴訥に生きる。人間の営みと土地を見つめる三篇。
木山捷平 きやま・しょうへい 1904-1968
岡山県生まれ。東洋大学中退後、詩人として活動を始める。太宰治らと「海豹」を創刊以降、『抑制の日』『河骨』『耳学問』ほか日常を飄逸と皮肉で捉えた私小説を発表。戦中の渡満体験をもとにした『大陸の細道』は、芸術選奨を受賞した。
新美南吉 にいみ・なんきち 1913-1943
愛知県生まれ。本名・正八。10代で書いた『ごんぎつね』などが鈴木三重吉に認められ、児童文学の道へ。1942年、初の童話集『おじいさんのランプ』を刊行するが、29歳の若さで病没。後に童話集『牛をつないだ椿の木』『花のき村と盗人たち』などが発表された。
中村地平 なかむら・ちへい 1908-1963
宮崎市生まれ。本名・治兵衛。東京大学美学科在学中より井伏鱒二に師事。1932年に発表した小説『熱帯柳の種子』で新進作家として注目を集める。芥川賞候補作となった『南方郵信』など故郷九州を舞台にした小説・随筆を多く発表し、地方文化の振興にも貢献した。
この巻には日本人作家三人の作品を収録。木山捷平は岡山県、新美南吉は愛知県、中村地平は宮崎県の出身で、作品はいずれも各作家の出身地が舞台になっています。都会から転校してきた同級生を通じて未知のものに対する理解を深めていく『嘘』の新美南吉は、若くして亡くなったものの現在も広く愛されている児童文学者。そして木山捷平と中村地平は、ともに井伏鱒二を中心とする阿佐ヶ谷将棋会のメンバーで、同時期(1937〜40年)に芥川賞候補に挙がりながら受賞を逸しましたが、その後、かたや中村は郷里・宮崎に帰って地元の文化振興に尽力し、かたや木山は飄々とした味わいの私小説が死後になって再評価されています。この三作家描くところの、三者三様の「朴」をご堪能下さい。(A)