春は霞、夏は風吹き寄せて空を裂く夕立。四季刻々と移り変わる筑波の山へ語りかけるように、娘・お光は清らかな歌声を響かせる。老夫婦の愛と、しかし癒されることのない孤独の影が胸を打つ徳冨蘆花『漁師の娘』。盲目の元馬喰には、忘れられないある女性との思い出があった。「記憶の文化」を求め、全国各地を訪ね歩いた宮本常一の『土佐源氏』。土地の風に吹かれ、深まる秋に心躍る上州・利根川行。旅を愛し、酒を愛した歌人・若山牧水の紀行文『みなかみ紀行』。失われゆく日本がまざまざと蘇る三篇。
徳冨蘆花 とくとみ・ろか 1868-1927
熊本県葦北郡水俣生まれ。本名・健次郎。同志社英学校中退後、兄・蘇峰の設立した民友社に勤務し、『不如帰』で作家の地位を確立。半農生活を送りながら創作活動を続けた。その他の作品に『自然と人生』『黒潮』など。
宮本常一 みやもと・つねいち 1907-1981
山口県大島郡に生まれる。教員時代より地域習俗の聞き書きを開始、全国各地の民間伝承を克明に記録した。代表作に『忘れられた日本人』『日本の離島』(日本エッセイスト・クラブ賞)など。『宮本常一著作集』で今和次郎賞受賞。
若山牧水 わかやま・ぼくすい 1885-1928
宮崎県東臼杵郡生まれ。本名・繁。早稲田大学を卒業後、尾上柴舟に師事。歌誌「創作」を主宰し、自然主義歌人として活躍。おもな歌集に『海の声』『別離』『死か芸術か』、紀行集に『みなかみ紀行』など。
収録作三篇は、漢字一文字のタイトルのごとく、一瞬の風に運ばれていくような旅情を味わえる三篇です。私のおすすめは徳冨蘆花の『漁師の娘』。子どもを望みながら、長らくかなわなかった年老いた夫婦のもとに拾われてきた少女・お光。筑波山の麓、霞ヶ浦の四季の移り変わりとともに、お光の成長を描きます。舞台となった浮島付近は残念ながらかつての自然は失われたといわれますが、美しい日本のことばと情景が懐かしさとともにまざまざとよみがえる一篇です。宮本常一、若山牧水の作品もあわせてお楽しみください。(S)