競馬の「ノミ屋」をしている「ベソ公」は、名も知らぬ小さな女の子をとつぜん預けられ途方に暮れる。少女の純真な心が大人を動かしていくラニアンの『ブロードウェイの天使』。留守番の子供たちが、めったにない夜更かしに眠気をこらえて遊びつづける至福の時間(チェーホフ『子供たち』)。「神様」ばかり気にかけているミス・ハリエットは、いじらしいほどの激しさで恋に落ちていく――。老画家が語るあまりにも悲しい恋の思い出(モーパッサン『悲恋』)。純粋な瞳の輝きに心洗われる三篇。
ラニアン Damon Runyon 1884-1946
アメリカの小説家。地方新聞で記者として腕を磨いた後、1911年からニューヨークでスポーツ記者、コラムニストとして活躍する一方、『野郎どもと女たち』『ブロードウェイの出来事』など下町や暗黒街に題材を得た短篇で人気を得た。
チェーホフ Anton Pavlovich Chekhov 1860-1904
ロシアの小説家。16歳のときに家が破産、モスクワ大学医学部に入ると、短篇やコントを書いて収入を得た。ユーモア作家として人気を博していたが、本格的な文学を志し、『曠野』などで確固たる地位を築く。主な作品に『可愛い女』『桜の園』『かもめ』など。
モーパッサン Guy de Maupassant 1850-1893
フランスの小説家。普仏戦争に従軍した後、1872年に海軍省に入省。やがて文学に興味を持ち、フロベールに師事。80年、『脂肪の塊』で作家としての地位を確立。すぐれた短篇作家としてよく知られている。代表作に『女の一生』『ピエールとジャン』など。
ラニアンは新聞記者の傍ら、盲腸の手術費用を捻出するために短篇小説を書き始めた、というユニークなエピソードを持つアメリカの作家です。ブロードウェイの下町をこよなく愛し、この地を舞台にしたギャングや賭博師たちの人間ドラマを、スラングをふんだんに使って描きだしています。翻訳家の加島祥造氏は、ラニアンの面白さを、「高級なフランス料理や高価なビーフステーキの味ではない」が「品数は少ないが、かならず一、二品はうまいものがある」ような「裏町の食堂」と述べており、この原文の妙を巧みに再現されました。街角で一部始終を目撃してしまったかのようなライブ感ある作品がやみつきになります。チェーホフとモーパッサンはともに「ありのまま」を描こうと努めた写実主義の作家ですが、それぞれ「瞳」で見て写し取った現実を読み比べてみると、違いが浮き彫りになって面白い2人だなあと思います。(R)