雑誌を読むほかにたいして楽しみのない又吉は、ある日、「ペン・フレンド募集」の手紙を投稿する。思いがけず若い娘から返事が来て心浮き立つのだが…。靴店に住み込みで働く青年の恋を爽やかに描いた石坂洋次郎の『婦人靴』。少年時代に働いていた店のマスターを街で偶然見かけ、かつての苦い経験がよみがえる椎名麟三の『黄昏の回想』。家族を思いながら働く少年の淡い恋が雪景色に美しく映える『雪女』(和田芳惠)。小さな店の一隅に息づく、ひたむきな青春の恋と憧れ。
石坂洋次郎 いしざか・ようじろう 1900-1986
青森県弘前市生まれ。慶應義塾大卒業後、秋田県で教員をしながら執筆をおこなう。青春小説『若い人』で三田文学賞を受賞。戦後、『青い山脈』が映画化されてベストセラーに。他の作品に『陽のあたる坂道』『山のかなたに』など。
椎名麟三 しいな・りんぞう 1911-1973
兵庫県姫路市生まれ。本名大坪昇。15歳で家出し、職を転々とする。共産党員となり1931年に検挙された後、『深夜の酒宴』『重き流れのなかに』で文壇に登場。50年に洗礼を受けてキリスト教徒となり、『邂逅』、『自由の彼方で』などを発表した。
和田芳惠 わだ・よしえ 1906-1977
北海道長万部町生まれ。中央大卒業後、新潮社に勤務し、「日の出」などの編集長を務める。樋口一葉研究をライフワークとし、1956年『一葉の日記』で日本芸術院賞を受賞。晩年は小説執筆に力を入れ、『塵の中』で直木賞を受賞。
ちょっと変わったタイトルの巻ですが……「店」で働く若者たちのひたむきな青春を描いた作品を収録しています。『青い山脈』や『陽のあたる坂道』など邦画全盛期に原作を書き、軽やかな青春小説で一躍流行作家になった石坂洋次郎。「耐え難いこの世界」のどこに救いを見出すのか? をテーマに執筆を続けた椎名麟三。名編集者として多くの作家たちを世に送りだした和田芳惠。戦後の文壇で比較的近い時期に活躍していながら、異なる作風のため生前はけして1冊に収まることのなかったであろう作家たち。でも、今ここにそれぞれが描いた「青春」を並べてみると、同時代の読者に向けた共通の「思い」が感じられ、時間を経たアンソロジーの面白さを味わうことができます。いま「働く」ということや、人生に少し疑問を感じている人にこそ、ぜひ読んでいただけたらと思います。(R)