雪の夜、「昔あったとい」と昔話をしてくれたあの人。実子ではない「私」をいつも温かく抱きしめてくれた亡き母の思い出(加能作次郎『母』)。親戚の娘をいきなり預けられた貧しい夫婦。強引なやり方に反発しながらも、いつしかその娘が愛しくなっていく(耕治人『東北の女』)。ハガキ一枚を頼りに上京してきた娘「初」は押しかけた家で雇ってもらうが、その家の男の子はひどく意地悪で…。孤独な少年を守ろうとする娘の潔い愛が胸を打つ、由起しげ子の『女中ッ子』。雪のように清らかで、温かい物語。
加能作次郎 かのう・さくじろう 1885-1941
石川・能登生まれ。早稲田大学英文科在学中、外国作家の評伝や、小説『厄年』などを「ホトトギス」に発表。博文館で「文章世界」の編集に携わりながら、『世の中へ』を読売新聞に連載して文壇的地位を確立。他の作品に『恭三の父』『乳の匂い』など。
耕治人 こう・はると 1906-1988
熊本・八代生まれ。身内を結核で次々に失い、画家を目指して上京。その後、千家元麿に師事して詩作を始める。戦後は主に私小説を発表、不遇時代が長く続いたが、1969年に『一条の光』で読売文学賞を受賞した。他の作品に『この世に招かれてきた客』など。
由起しげ子 ゆき・しげこ 1900-1969
大阪・堺市生まれ。山田耕筰に作曲を学んだ後、1925年に画家・伊原宇三郎と結婚して渡仏。戦後は別居してから執筆活動に入り、49年の『本の話』で戦後復活第一回の芥川賞を受賞。他の作品に『警視総監の笑ひ』『赤坂の姉妹』など。
今はもう、日本のどこへ行っても、ここで描かれている風景を見ることはできないのではないかと思います。厚い壁で作られた頑丈な家の中で繰り広げられる、濃密な人間関係。雪国の厳しい生活に生きる、口数の少ない人たちの温かさに心打たれます。加能作次郎『母』の、子供に昔話を聞かせる母親の「昔あったとい(とさ)」という方言まじりの言葉が、読後、不思議と胸に残ります。(Y)