幼さの残る夜長姫は美しい笑顔に似ず、残忍きわまりない。「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ」――姫の魅力に抗しきれぬ若い匠の恐怖と憧れ(坂口安吾『夜長姫と耳男』)。名もなき衛士が三の姫宮をさらって逃げた。突如巻きおこる疾風のようなロマンス(檀一雄『光る道』)。白粉の下に「男」を隠し「私」は街の奥へ分け入っていく。女装することで変容していく男の心理を描きだした谷崎潤一郎の『秘密』。エロティシズムと夢魔が交錯する、妖気に満ちた世界。
坂口安吾 さかぐち・あんご 1906-1955
新潟市生まれ。本名は炳五(へいご)。1931年の『風博士』で注目される。戦後『堕落論』『白痴』などを発表、太宰治や織田作之助らとともに、独自の文学世界を展開した。その他の作品に『不連続殺人事件』『安吾巷談』など。
檀一雄 だん・かずお 1912-1976
山梨県生まれ。東大在学中に発表した『此家の性格』で認められる。1951年に『長恨歌』『真説 石川五右衛門』で直木賞受賞。死の前年まで書き継いだ『火宅の人』により、読売文学賞と日本文学大賞を受賞した。その他の代表作に、『花筐』『リツ子・その愛』など。
谷崎潤一郎 たにざき・じゅんいちろう 1886-1965
東京・日本橋生まれ。1910年に発表した『刺青』が賞賛されて以降、半世紀あまりにわたって多くの名作を残す。初期は耽美的な作風で知られたが、次第に日本の伝統美へと回帰。海外での評価も高い。代表作に『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など。
本巻には、坂口安吾、檀一雄、谷崎潤一郎の、妖気漂う物語を収めました。いずれもある種のラブストーリーで、中でも『夜長姫と耳男』は、安吾が書いた最も美しい愛の物語といってもいいでしょう。安吾というと、かつて文学好きの高校生の間では太宰治と人気を二分した作家ですが、最近ではすっかり太宰に水をあけられてしまった観があります。この短篇にしても、すべての読者に気に入ってもらえるような作品ではないかもしれません。しかし、わかる人にはきっとわかってもらえるはず。マンガ化やオペラ化もされているようですので、それらに接したことのある人には、原作のほうもぜひ手に取っていただきたいと思います。(A)