檻のなかで半眼を開き、飲まず食わずで座りつづける。そんな断食芸が喜ばれた時代は去り、誇り高き芸人は苦悩する(カフカ『断食芸人』)。完全なる静寂、闇に微かに震える翼――北方で国境警備にあたる日本兵が塹壕の覗き穴からみた巨大な生命のうねり(長谷川四郎『鶴』)。地下室でパンを焼く男たちに笑いかけるターニャ。彼女の存在は疲れた男たちの希望だったのだが…。(ゴーリキイ『二十六人とひとり』)。踏みつけられた者たちの、胸に迫る人間ドラマ。
カフカ Franz Kafka 1883-1924
プラハ生まれのユダヤ系ドイツ作家。労働者災害保険局に勤務しながら小説を書き、ウィーン郊外のサナトリウムで没した。生前には短篇集数点しか刊行されず、『失踪者』『審判』『城』などの長篇は、没後に友人の手で出版された。
長谷川四郎 はせがわ・しろう 1909-1987
北海道函館市生まれ。法政大学独文科卒業後、満鉄に入社。その後、陸軍に召集され、戦後シベリアに抑留された。帰国後、抑留体験を元にした『シベリヤ物語』を発表。翻訳でも多くの作品を残した。代表作に『無名氏の手記』『阿久正の話』など。
ゴーリキイ Maxim Gorky 1868-1936
ロシアの小説家。社会主義リアリズムの創始者。11歳で孤児となり、職を転々とした後、24歳で短篇『マカール・チュドラ』を発表。レーニンと親交を深め、革命運動の支援もした。代表作『どん底』はプロレタリア文学の最高峰とされる。
『二十六人とひとり』はゴーリキイの代表的な短篇のひとつ。作家の筒井康隆氏は『短篇小説講義』(岩波新書)という本の中でこの作品を取り上げており、ゴーリキイの短篇には、「『どん底』『小市民たち』『敵』といった戯曲を読んだ経験から、社会のどん底にあえぐロシア人民の暗い生活を、ひたすらリアリズムで描いた暗い作品に違いないという思い込み」があったけれど、『二十六人とひとり』については、「実験的な試みが感情の繊細さとうまく調和した秀作」であるとの評価を下しています。筒井氏と同じような思い込みをしている人は、意外と多いのではないでしょうか。『文学部唯野教授』という快作もある筒井氏がこの短篇をどのように分析しているかをお知りになりたい方は、ぜひ『短篇小説講義』をお読み下さい。(A)