歴史の楽しみかた
  • 信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
  • 秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」
  • 家康「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」

信長は短気ではげしい気性、秀吉は工夫をこらすタイプ、家康はがまん強い性格だったといわれているが、本当にそうなのだろうか? 資料をたんねんに調べていると、三人の意外な性格が見えてきた!

  • 織田信長
  • 豊臣秀吉
  • 徳川家康

日本人ならだれもが知っている三人の意外な性格は、「コミック版 日本の歴史」で知ることができる。

実は「がまん強い努力家」だった信長

信長がまだ10代のころのこと。ふつうよりも長い槍をつくり、新しい戦法を発明した。
これは、信長が天才だからできたのだろうといわれてきた。しかし、実際は信長は寝る時間や食べる時間をおしんで研究し、周囲から大うつけ(ばかもの)といわれてもがまんし、この長い槍の戦法を完成させている。
信長はとてもまじめで、研究熱心だったのだ!

すべて計算!? 秀吉の「人たらし」

織田家につかえ、美濃(みの・岐阜県南部)を攻略するときのこと。秀吉は、敵の武将を味方につけることに成功した。しかし信長は、その武将を殺してしまえと命じる。ふつうの人間なら、武将を殺してしまうだろう。しかし秀吉はそうはしなかった。武将に「すぐに逃げられよ」といい、刀を捨てて、万が一の時は自分を人質(ひとじち)にするよう申し出たのだ。
これは、たんに秀吉の人の良さをしめすエピソードではない。秀吉は「武将は感激してわしの評判を美濃で広めるだろう」と考えて、逃がしたのだ。
秀吉の人の良さは、深い「計算」にもとづいていた。

家康は「短気」だった?

家康はがまん強い性格だといわれるが、本当にそうだろうか。
家康は、じっとしているようにと言われているのにもかかわらず、ある戦いで挑発にのってしまい、大敗したことがある。
そして、家康の長男である信康も、そのはげしい性格から信長に切腹を命じられたともいわれている。
戦いぶりからも、血筋からも、実は家康は短気だったと考えられる。

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