作家紹介

こどもの本を考える:西本鶏介
No.166子どもにも薦めたい『百年小説』

成人向であろうと子ども向であろうと、読者に制約はありません。今日盛んなヤング・アダルト小説だって狭義に考えるなら、れっきとした成人小説です。戦時中に少年時代を送ったぼくには当時、児童文学なんて意識はなく、どんな内容の成人小説であっても、読書欲を充たしてくれる貴重な本でした。教師に読むなと叱られた小説ほど子ども心に強く感じるものがありました。

百年小説』は日本の近・現代の短篇小説五十一篇を一冊に収めた本で、改めて文学の凄さを思い知らされます。声に出して読みたくなる名文の迫力、社会や生き方に対する深い洞察、人間であることの切なさとやさしさ、どの小説からも作者の誠実な声が聞こえてきます。これらの作品を初めて読んだ遠い日の記憶がいきいきとよみがえってくるのです。因みに芥川龍之介の「お富の貞操」。終戦の年の十二歳の春、貞操というタイトルのなまめかしさに魅かれて(戦時中なのになんと不謹慎な少年)夢中で読みました。確か三段組の改造社版現代日本文学全集に収められていたと思います。三毛猫を助けるため、自分の体を乞食に与えようとするお富という娘の話で、その緊迫した場面にどきどきしました。結局は乞食が何もせずに去り、後年、母親になったお富がりっぱな軍人に出世した乞食とだまってすれ違うのです。読書の動機はともかく人間の心の複雑さや運命の不思議さを知りました。

すぐれた小説は読者の年齢を問いません。たとえ子どもであっても何かの感動を与えてくれます。だとするならば『百年小説』は子どもにとってもかけがえのない名作といってよいでしょう。近頃の面白くもない児童文学よりははるかに深く心に残るはずです。ヤング・アダルト小説の読者ならなおさらのこと、小説の醍醐味を味わえます。その質と量を考えれば決して高い値段ではありません。大きな活字で、すべての漢字にルビがついているので、とても読みやすく、日本語のすばらしさも再確認できます。

西本鶏介(にしもとけいすけ)

1934年、奈良県に生まれる。児童文学の評論・創作・民話研究など幅広く活躍。各種の児童文学賞の選考委員をつとめる。昭和女子大学文学部教授。各ジャンルにわたって著書は多いが、読み聞かせのための本として『読みきかせ日本昔ばなし(10巻)』(小学館)『童話が育てる子どもの心』(同)『子どもとお母さんのためのお話(日本・外国)』(講談社)、『こどもと大人のためのメルヘン・グリム童話(1)(2)』(ポプラ社)、絵本に『お母さん、ひらけゴマ!』(同)などがある。

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