ポプラ社 百年文庫

名短篇の本棚です

全巻ラインナップ

音
5
音

幸田文『台所のおと』
川口松太郎『深川の鈴』
高浜虚子『斑鳩物語』


Illustration(c)Sumako Yasui

障子のむこうから
優しい音が聞こえてくる

病床の佐吉は台所の音を聞こうと寝返りを打つ。障子を隔て心を通いあわせる夫婦の姿――幸田文『台所のおと』。深川育ちで働き者の後家と小説家志望の「私」、ふたりはすし屋の二階で暮らし始めるが…。貧しくもいじらしい愛、川口松太郎の『深川の鈴』。菜の花が美しい大和路の宿、夜も更けて冴えた機織りの音が聞こえてくる…。純朴な娘の想いをほのぼのと描きだした高浜虚子の『斑鳩物語』。何気ない暮らしの音が優しく響く三篇。

著者紹介

幸田文 こうだ・あや 1904-1990
東京・向島生まれ。父・露伴の厳しい家庭教育を受ける。文筆活動を始めたのは43歳と遅く、露伴の晩年を綴ったのが最初だった。以後すぐれた文章家として活躍。代表作に『黒い裾』『流れる』『おとうと』など。

川口松太郎 かわぐち・まつたろう 1899-1985
東京・浅草生まれ。早くから自活しながら文学修業に励み、1935年に第1回直木賞を受賞。庶民の心情を描いて一世を風靡し、映画界、演劇界の発展にも大きく貢献した。代表作に『鶴八鶴次郎』『愛染かつら』など。

高浜虚子 たかはま・きょし 1874-1959
愛媛県生まれ。本名清。中学時代に正岡子規の知遇を得、虚子の号を受ける。雑誌「ホトトギス」の主宰・発行人として、すぐれた俳人・小説家を世に送り出す一方、自らも作家として多くの名作を残した。代表作に『鶏頭』『俳諧師』『柿二つ』など。

編集者より

川口松太郎の『深川の鈴』は、著者自身をモデルにした連作短篇集『人情馬鹿物語』に収められています。松太郎はその後、『続人情馬鹿物語』という作品も書いていますが、その中の『人情不人情』という一篇では、「人情馬鹿ってパパの小説だろう」「そうだ」「どういう意味だい」「気持の美しい人という意味だ」「美しい人が馬鹿なのかい」といったような次男(小学五年生)との会話を紹介した後、「人情とは愚かな自己犠牲だ」といわれかねないほど人情と縁が薄くなってきた時代を嘆いて、「あと五十年も経ったら『人情』という文字さえも、辞典の中から消えて行き、人情馬鹿物語の数篇も価値を失って雲散霧消するのだろう。老い先の短い人情馬鹿物語よ!』という、やや悲観的な言葉で締めくくっています。松太郎がその文章を書いてから、すでに50年以上の歳月が流れました。みなさんは『深川の鈴』を読んでどのような感想をお持ちになるでしょうか。(A)